日本で急速に普及したホットヨガは、アメリカで生まれました。その歴史を紹介します。

インド人の先生が始める

ホットヨガの創始者は、インド人のビクラム・チョードリー氏です。 ビクラム氏が1972年にカリフォルニアで始めたヨガ(ビクラムヨガ)が、ホットヨガの元祖だと考えられています。

ビクラム・チョードリーとは

ビクラム氏は1944年、インドのコルカタ(カルカッタ)に誕生。 幼少期から卓越したヨガの技術を発揮しました。 著書「ビクラムヨガ 完全習得ガイド」によると、10代のときにインドの全国ヨガコンテストで3年連続優勝したといいます。

ヨガナンダの弟が師匠

ビクラム氏の師匠はビシュヌ・ゴーシュ氏です。ゴーシュ氏は、アメリカで一般的なヨガ(ハタヨガ)を広めた立役者であるヨガナンダ氏の弟です。

日本と深い縁

著書「ビクラムヨガ 完全習得ガイド」には、ビクラム氏は日本と深い縁があると書かれています。それによると、1970年、26歳のときに師匠(ゴーシュ氏)のすすめで来日。それから2年半にわたり、東京でヨガの指導と研究を行いました。

ビクラム氏のヨガ教室は、都内のマンションの小さな一室でスタートしたそうです。また、国連が支援するプログラムの一環として、東大付属病院で日本人の学者らとともにヨガの研究に着手。ヨガの効果の科学的な分析に携わります。

ニクソン大統領との出会い

同著によると、ビクラム氏のヨガ教室には、やがて多くの著名人が訪れるようになったといいます。その中の一人の生徒の紹介で、当時の田中角栄首相と知り合いになります。さらに、田中首相からハワイのホノルルで当時のニクソン米大統領を紹介されます。

渡米

ビクラム氏はさっそくニクソン大統領の持病を治癒すべく、ヨガの指導を頼まれたそうです。そして短期間で見事に持病が治ると、大統領から直々にアメリカへと招かれます。これが、後にアメリカで「ビクラムヨガ」が大成功する出発点となります。(以上、「ビクラムヨガ 完全習得ガイド」より)

インドに近い環境でヨガ

米国に移住したビクラム氏は、ロサンゼルスで独自のスタジオを設立。インドの気候に似た高温・多湿のヨガを始めました。 これが元祖ホットヨガだとされます。 ホットヨガを始めたきっかけは、一説によると、当初使用していたスタジオはとても寒かったことから、生徒が小さいストーブを持ち込むようになりました。 すると部屋全体が温かくなって、 大汗をかくようになり、 ポーズもとりやすくなりました。 ビクラム氏はこれに着目し、高温で汗だくになりながら行くヨガを本格的に取り入れるようになったといいます。 インドの伝統的なハタヨガを基本にしつつ、独特の設備や指導法を取り入れた手法は、 ハリウッドのセレブらからも支持を集め、やがて全米に人気が広がりました。 アメリカではホットヨガという一般名詞よりも、 「ビクラムヨガ」という固有名詞(ブランド名)で知られるようになります。 ブリーフ一枚のスタイルで指導するビクラム氏のスタイルも定番になります。

養成プログラム

ビクラムヨガの急成長を支えたのは、インストラクター(指導者)の養成プログラムです。 ビクラム氏が行う指導者養成プログラムを修了すると、 自らのスタジオを持って指導することが可能となります。 このため、多くのヨガ愛好家が高額の費用を払って、 養成講座に参加しました。 そして、修了後はフランチャイズのオーナーとして、全米各地で教室を運営しました。 ビクラム氏のカリスマ性もあって、1990年代ごろからフランチャイズのスタジオは急速に普及しました。

ホットヨガが一般的になる

2000年代になると、全米各地に、ビクラムヨガ以外でホットヨガをやるスタジオが登場。ホットヨガはどんどん身近になっていきました。

ビクラムはパワハラ裁判で敗訴し破産。国外逃亡

一方、ビクラムヨガは、ビクラム氏がセクハラ訴訟やパワハラ訴訟を相次いで起こされ、社会から批判を浴びます。 このうち、法律顧問の従業員が起こした裁判で完全に敗訴し、多額の賠償金を命じられます。 ほかにも、複数の教え子たちがセクハラや性的虐待を訴え始めました。 ビクラムは2017年に米国で破産申請を行うとともに、 賠償金を逃れるために米国外へ逃亡してしまいました。

ネットフリックスの映画「ビクラムの正体」

2019年、動画配信の「ネットフリックス(Netflix)」が、ビクラムによるレイプやセクハラ被害を告発するドキュメンタリー映画「ビクラムの正体:ヨガ、教祖、プレデター」を公開しました。 それまで一般にはあまり知られていなかったビクラム氏の常識を逸脱した言動が明らかになりました。

日本におけるホットヨガ

日本では00年代後半からホットヨガがブームになります。店舗の多くが「女性専用」となったこともあり、働き盛りの若い女性たちに支持されました。

LAVA(ラバ)が市場をけん引

2004年12月、ホットヨガスタジオ「LAVA(ラバ)」の1号店が東京・渋谷にオープンします。「まんが喫茶ゲラゲラ」などを展開するベンチャー・バンクという会社による新規の事業参入でした。その後、LAVAはいち早く全国に店舗網を整備します。

一方、元祖の米ビクラムヨガは2006年に東京・銀座に日本1号店をオープン。米国本部と同じプログラム内容で浸透を図ります。

カルドが追随

さらに、岩盤浴付きのスポーツジム「INSPA(インスパ)」を運営する会社ロックスが2011年に「カルド」というブランドのホットヨガ専門店をスタート。先行するLAVAよりも充実した施設と低めの料金体系を売り物にして追随しました。

2018年3月現在、LAVAが店舗数340以上を抱えて国内最大手となっています。カルドは約60店舗です。

スポーツジムが相次いで導入

2010年代の半ばごろから、大手スポーツジムがホットヨガを相次いで導入しました。セントラル、ルネサンス、NASなど全国展開の大手ジムが既存の店舗のスタジオを改修し、ホットヨガができる環境を整えていきました。このうち、ホットヨガだけ別料金にしたり、専用の会員制度を設けたりしているところもあります。

導入した店舗の多くでは、ホットヨガが人気プログラムとなり、集客アップに貢献したようです。 現在、日本は世界有数のホットヨガ市場となっています。